インタビュー

著名人からのインタビュー

オリーブオイルの愛好家は世界中にいます。様々な分野の方に美味しいだけではない、その人気の理由と使い方を語っていただきます。

【第9回】
オリーブとオリーブオイルは、はるか昔の地中海文明を記憶しています。

明治学院大学名誉教授
巖谷國士さん

フランス文学者・作家・美術評論家であるだけでなく、旅行作家・写真家としても知られる巖谷さんは、オリーブの原産地である地中海沿岸地方へも毎年のように訪問。植物にも食物にも造詣が深い巖谷さんに、世界65か国、日本の全都道府県を旅した経験をもとに、オリーブとオリーブオイルの歴史的、文化的背景を語っていただきました。

地中海から始まったオリーブの栽培。長い年月を経て世界各地に広がります。

写真自宅にて。左上の額に入った作品は、高梨豊氏撮影による「オリーヴの木の下の瀧口修造」。

― 海外でのオリーブとの出会いを教えてください。

巖谷:
僕は地中海沿岸地方が好きで、何十回となく旅していますが、どの国へ行ってもオリーブがありますね。オリーブの木は日本でも見て知っていましたが、初めて丘陵地帯一面に広がるオリーブ畑に出会ったときの感動は今でも忘れられません。
最初にオリーブの世界に来たなと実感したのは、列車で入ったスペインのカタルーニャ地方でのことです。まずオリーブの葉は独特の色合いで、葉の裏が銀色のように白く、表側もやや青みがかった濃緑色で、派手ではないけれど、地中海の強烈な日の光を受けて銀色にキラキラと輝いている光景は、ほかでは見られないものでした。
さらに地中海独特の空と海の色。湿気が少ないせいで空気が澄んでいて、空が真っ青で、ときには紺色に見えるくらいです。海の色は深い紺碧で、日本で見る海や空とは違います。その真っ青な空と海、白い土地と建物、そして緑のオリーブ。地中海世界を身体中で感じました。

― オリーブはもともと地中海世界で生まれたものなのですね。

巖谷:
オリーブの原産地は地中海沿岸で、特にその東側、現在のシリアやレバノン、トルコあたりです。そこでは5000年以上前からオリーブが栽培され、オイルが使われていたでしょう。そもそも西方のヨーロッパというのは、世界最初の文明のおこったメソポタミアやエジプトなど、東方(オリエント)からやってくる先進の文明を真似てきました。ギリシア・ローマ文明も、東方からの影響なしには考えられません。
オリーブの文化については、現在のレバノンに都市国家を築いていたフェニキア人が各地に伝えたとも思われます。フェニキア人は、ギリシア人が歴史に登場するよりもずっと前に遠洋航海術を発明して、地中海からジブラルタルを越えて地中海のはるか外まで行き、おそらくコロンブスより何千年も前に「新大陸」を発見していただろうといわれています。

写真オリーブ畑※イメージ

その東の出発点、レバノンやシリアのあたりから、トルコ、ギリシア、イタリア、フランス、スペイン、モロッコ、アルジェリア、チュニジアやエジプトのあたりまで、オリーブの栽培という文化が広まっています。
長いことオリーブは地中海沿岸のものでしたが、1492年にコロンブスの新大陸発見のあと、スペインやポルトガルがアメリカ大陸へ運んで栽培しました。だから現在でも、チリやアルゼンチン、メキシコやカリフォルニアなど、乾燥した地帯で栽培されています。日本には16世紀に入ってきました。こうやってオリーブは長い旅をしたのです。ですからオリーブ自体が、はるか昔の地中海世界を記憶しているといっていいでしょう。地中海の文化は共通の食べ物に支えられていますが、ひとつはワインを作るぶどう。もうひとつはパンを作る小麦。そして油を作るオリーブ。その三つが古いヨーロッパの食文化の基本でしょう。

― オリーブには、文化的なシンボルといった意味もあるでしょうか。

巖谷:
地中海世界の神話や伝説でも、オリーブは特別の役割を果たしています。旧約聖書も神話の一種ですが、例のノアが大洪水の前に方舟を造って航海したとき、どこまで進んでも海ばかりで陸地が見えない。カラスとハトを飛ばすと、ハトの方がオリーブの枝をくわえて戻ってきました。オリーブの木の生えている陸地が近くにあるということですね。
その枝がオリーブだったというのは、当時この神話の伝わった現在のパレスチナやヨルダンなど死海周辺の土地でも、オリーブが大事な植物だったことを表しているでしょう。人間が生きて行く上で基本的なもの、これがあるから生きていけるという希望の象徴です。オリーブがいかに生活と結びついていたかということもあります。
紀元前8世紀から行われていた古代オリンピックでは、勝者が月桂樹やオリーブの冠をかぶり、勝利の象徴とされていました。ギリシア神話では、アテネの町ができるときに、海神ポセイドンは馬を贈り、女神アテナはオリーブの木を贈りました。馬は大地を蹴って水を噴き出させますが、オリーブは豊かな実りをもたらすものとして、この町の名称に選ばれました。それでアテネはオリーブの生い茂る都市になりました。水よりもオリーブが選ばれたというのが面白いですね。
オリーブは豊穣、生殖、平和の象徴です。ただ、平和の象徴というのは後からつけ足さられたものでしょう。ノアの神話からいえば希望の象徴にもなります。

歴史と文化の刻まれたオリーブとオリーブオイルを味わう体験。

写真※イメージ

― 旅先でのオリーブオイルを使った料理の思い出はありますか。

巖谷:
最初のカタルーニャでの体験がまず印象的でした。ほとんどの料理にオリーブオイルが使われています。たとえばレタスとトマトのサラダが大きな鉢に入ってきて、卓上にあるオリーブオイルと酢を自分でかけて食べたりしますが、毎日これがあると、オリーブオイルなしにはいられなくなります。
地中海地方をめぐっていると、オリーブオイルも土地によっていろいろな味わいがあることもわかってきます。その土地で採れた食材に、その土地で採れたオリーブオイルを合わせて食べるからで、これはイスラム圏でもキリスト教の国でも同じです。もちろんオイルだけでなく、オリーブの実も好んで食べますね。
数年前に妻と行って、今でも話題にするくらい思い出の深かった料理があります。スペイン、カスティーリャ地方のトレドで食べた鹿肉のカルパッチョ。土地で獲れた鹿の生肉を薄く切って、オリーブオイルと香草やにんにくなどを 合わせただけのものですが、あれは本当にうまかった。
ほかにも古い文化の残っているキプロス島やクレタ島、トルコやシリアやレバノンの大皿に盛った前菜料理のメゼとか、モロッコやチュニジアのタジンやクスクスなど、オリーブオイルを使った料理は地中海地方に共通していますね。日本は明らかに米の文化ですが、オリーブオイルは日本人にとっての米や大豆をイメージすると多少わかりやすいかもしれません。そのくらい風土と結びついた大切な食べ物です。

― ご自分でも料理をされて、オリーブオイルをお使いになるそうですが。

巖谷:
料理は子どものころからやっていましたが、今は1年のうち50日以上は軽井沢で仕事をしているので、そのときだけ自分で料理をしています。人が集まるときは、地中海料理のフルコースをふるまうことが多いですね。各国のオリーブオイルを持ってきてくれるお客もいるので、何種類も使いわけます。
レシピなしで、時間をかけずに、直感ですばやく作るのが僕の料理。たとえば前菜がブルスケッタだと、パン・ド・カンパーニュの薄切りをカリッと焼いてオリーブオイルを塗り、トマト、黒と緑のオリーブの実をそれぞれ細かく刻んで三色にしてパンにのせ、別のオリーブオイルをざっとかけます。バジリコやオレガノ、紫蘇や茗荷を使うことも。お客に出すと、物もいわずに、あるいは叫びながら食べてくれます。ミネストローネなど最初のオリーブオイルの使い方が大事。最初に炒めるオイルは、あまり上等でなくても風味のあるものがよくて、最後にまわしかけるオイルと別のものがいいでしょう。
オリーブオイルは地中海料理の基本にあって、他の材料にない特別なものです。文明の発祥の地、イラクやシリア、イランなど古い東方世界を思いおこさせる力もありますね。

日本で出会った、希望の象徴としてのオリーブ。

― 最初にオリーブの木を見たのは日本でだったのでしょうか。

巖谷:
僕は東京で生まれ育ったので、子どものころは見たことがありませんでした。最初にオリーブの木を見たのは、18歳で小豆島に旅行したときです。もともと植物には興味がありましたが、オリーブとはこういうものかと、ある種の感動をおぼえました。というのは、オリーブの木にはどことなく人間みたいな感じがあるんです。幹が固くてこぶになっていたり、裏の白い独特の葉が揺れていたり、なんだか個性的な木です。
小豆島ではオリーブオイルの試飲もしましたが、それがオリーブを意識した最初かもしれません。その後、岡山県の牛窓にも何度か行っていますが、あそこの丘陵にもオリーブ園があります。ただ、地中海と違うのは空と海の色ですね。日本では紺色に近い真っ青な空や海に出会うことはめったにありませんから。

― 思い出に残るオリーブのエピソードはありますか

巖谷:
その後、20歳のときに瀧口修造と出会いました。肩書からいえば詩人・美術批評家ですが、日本のアートを導いた偉大なシュルレアリストです。当時、瀧口さんはすでに60歳でしたが、40歳年下の僕と長いつきあいが始まりました。西落合の瀧口さん宅にもよく伺いましたが、庭に大きなオリーブの木があったのです。当時、1960年代の東京にはオリーブの木などほとんどなかったのに、不思議なほどよく育った大きな木でした。どうも瀧口さんには、自分の生命とそのオリーブの木とが関係しているという感覚があったようです。

インタビュー1『扉の国のチコ』瀧口修造の作った「オリーヴの瓶詰」のならんでいる場面。

インタビュー1絵本『扉の国のチコ』の全場面を中江嘉男氏・上野紀子氏がバッジにして巖谷國士氏に贈った作品。

上野紀子さんが絵を描き、中江嘉男さんが構成して僕が物語を書いた『扉の国のチコ』(ポプラ社刊)という絵本に、そのオリーブの木が描かれていますが、お二人も僕も、瀧口さんの家の庭でそのオリーブに出会ったのです。1974年に瀧口さんは、友人たちの助けを借りて、そのオリーブの木の実を塩漬けにして、瓶詰を作りました。瓶のラベルには自筆の英語で「ノアのオリーブ」と書いてあって、さらに「セラヴィ農場」という文字も入っていました。
瀧口さんはマルセル・デュシャンと手紙のやりとりをしていましたが、そのデュシャンの女装したときの名前「ローズ・セラヴィ」を借りたもので、セラヴィというフランス語は、「これが人生」という意味です。その瓶詰は瀧口さんの作品になって、親しい友人たちに送られ、僕は妻とすぐに食べてしまったのですが、蓋を開けずに今でも大事に保管している人たちもいます。
ノアというのはもちろんあのノアで、オリーブは大洪水後の希望だともいえます。その名のつけられたオリーブを、2011年の東日本大震災の後に、僕はよく思いうかべました。そのことは『幻想植物園 花と木の話』(PHP研究所刊)という本にも書いています。この本は僕の好きな36の植物について書いたエッセイ集ですが、オリーブの章は最後に持ってきました。それはオリーブに将来を託す気持ちからでした。
ノアはオリーブがなければ、難破していたでしょう。オリーブというのは人間の最後の希望で、困難なときに思いうかんでくるものです。希望は人間にとって本当に必要なものでしょう。

プロフィール

プロフィール

巖谷國士さん/明治学院大学名誉教授
1943年東京都生まれ。東京大学文学部卒・同大学院修了。明治学院大学名誉教授。シュルレアリスム研究の第一人者とされる一方、旅行家・紀行作家としても名高く、最近では『旅と芸術ー発見・驚異・夢想』(平凡社)を刊行し、同名の展覧会も監修した。主な著書に『シュルレアリスムとは何か』(ちくま学芸文庫)、『<遊ぶ>シュルレアリスム』『封印された星ー瀧口修造と日本のアーティストたち』 (平凡社) ほか多数。オリーブや地中海に関連する著書として、『扉の国のチコ』(ポプラ社)、『地中海の不思議な島』(筑摩書房)、『ギリシア歴史・神話紀行』(河出書房新社)、『森と芸術』(平凡社)、『幻想植物園 花と木の話』(PHP研究所)などもある。

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